昭和初期にブルーノ・タウトが合掌集落を初めて海外に紹介した著書中に「合掌造り家屋は、建築学
上合理的であり、かつ論理的である」と絶賛し、また、「この風景は、日本的ではない。少なくとも
私がこれまで一度も見たことのない景色。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ」と
言わしめた、白川郷を訪ねてきました。
ブルーノ・タウト氏がこの地を訪れた際には300以上もの合掌集落が存在していたようでしたが
現在現存しているのは100棟あまり、それでもその言葉を残した気持ちが私にも理解し感じる事が
出来ました。アスファルト敷きの道路や、観光客、土産屋などが現在である事を示していました
が、それでもまるでタイムトリップしたかのような錯覚を覚えました。まるで日本むかし話に出て
くる、懐かしく、美しい世界。そのような印象を受けました。
公共の建築物でもなく、煌びやかな装飾も豪華な材料も使用していない農村の民家、しかしそこに
は日本的な美しさが存在しています。厳しい自然環境の中で生まれた生活習慣や知恵、質素で慎ま
しい生き方、自然の恩恵を受けて生きているといった事がその美しさを形どっているのだと感じま
した。 現代の建築とはまるで正反対で自然に逆らうことなく利用し、受け入れる建築がそこにはあ
りました 。たとえば建物は南北に面して建てられおり、これは白川の風向きを考慮し、風の抵抗を
最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏涼しく、冬は保温されるようになってい
ます。
豪雪地域で雪下ろしを楽にする為や、雨量の多さから水はけを良くする為に屋根の角度は約60度、
そのことが集落に規則性やリズムを生み出していて、風景、自然と調和しています。例えば夏にお
日様の方向 に向いて咲くヒマワリ畑のヒマワリのように揃っている美しさ。また、使われている
材料は地域のも のでその風土の中にあるものだから、色彩、質感も風景に溶け込むことが出来て
いる。経年変化しそ の色を変える事でさらに景色に同化していく。だから美しいのだと感じまし
た。
またこの多くの建物が現在まで残っているという奇跡はこの地域に住む方々の努力と心があったから
です。「結い」という言葉があります。辞書で調べると、「結いとは労働力を対等に交換しあって田
植え、稲刈りなど農の営みや住居など生活の営みを維持していくために共同作業をおこなうこともし
くはそのための相互扶助組織のことをいう。社会基盤の維持にかかわるものは特に自普請ともよび、
労力、資材、資金を提供しあう互助活動全体を指す。地縁にもとづく「近所付き合い」とみなすこと
も可能であり、古くは「十分の付き合い」や隣組も結の一種といえる。また、広義には無尽や消防団
などは資金や災害対策の労役に限った結いであるといえる。」とあります。 昭和初期には300を超
す集落の多くがダム建設でその姿を失っていく中、出来るだけ多くそのままの姿を残し、守り伝え
て行こうと一致協力したからこそ成り得ています。
(明善寺郷土館パンフレットより)
白川郷では30~40年に一度この屋根の葺き替えが行われるそうですが、二日以上もかかるという
大掛かりな作業で人数にして一日あたり100人~200人、人件費やその他の費用を現金に換算する
と数百万円以上にものぼる作業だそうです。それらは無償で行われ、次には誰かのために無償で
同じよう に働くのだそうです。白川郷の集落の美しさ、素晴らしさは、建物そのものや田園風景も
さることながら、このような相互扶助の精神、人々の助け合いの心に現れています。現在のように数
多くの中から選ぶ事の出来る工法や、材料が建築を豊かにしています。しかしそこには白川郷で見る
素朴で素直で力強い、日本の美しさと言ったものを感じることが出来ません。個性も大切なことです、
仕事も様々ですが白川郷にある「結い」の精神を見習い、協力して自然や風土文化と共存し、その結
果として「集団」としての美しさを作る大切さも必要だと感じました。都市部では隣に住んでいる人
の事も知らないなどという事もしばしば、そのような状況中で美しい環境づくりや、自然を守る、文
化を継承していく等といった事が叶う筈も有りません。しかし地方にはその協力が出来る環境が残っ
ているように感じます。そこから発信し、いずれは都市へそして日本全国へと広がって行くそんな働
きかけを行いたいと感じました。自然に逆らわないで共存し、過去から受け継いだ知恵や知識を使い
近隣の方々と協力して生きる、そのことで生まれる美しい建築を目指して行きたいと感じました。そ
して、日本が白川郷で見た景色の様に世界に誇れる美しい国になって欲しいと感じました。