TAMBA FU-DO【東京春日店】 が2018年9月21日に開店されました!
徳川家の三代目の将軍・家光の乳母として有名な春日局は、丹波の国の興禅寺にお福という幼名でうまれ、幼少期を過ごされた後、歴史の変化と動乱の渦中に身を置かれながらもその才を見出され徳川家光の乳母となられ、その後東京都文京区にある麟祥院にてその波乱に満ちた人生を終えられたといわれています。ご縁がありまして菩提寺である麟祥院様で100年ぶりに復活した「春日忌」にお招きいただき、お福様が産まれ育った地で愛されたであろう味をご提供させていただくことができました。それが大きなきっかけとなり、この地に店舗を構える決意を固め今日に至ります。春日局様がこの世に生を受けられた「春日」、そして人生の集大成として過ごされた「春日」。このふたつの「春日」の地は、まさに春日局様が与えてくださった縁ではないでしょうか。
今年の夏は、ことの他厳しい猛暑と、自然災害に見舞われた日本列島でしたが、季節は夏から秋へと実りの時期を迎えようとしています。
弊社の所在地であります丹波は季節の移り変わりが顕著で、その気候風士が自然の生業として四季折々の情景を楽しませてくれます。そして丹波は味覚の宝庫として丹波ブランドを築き上げてきました。その丹波が華やぐ秋を間もなく迎えようとしています。
「株式会社やながわ」は明治25年の創業で現在に至るまで丹波の産物と共に歩んで参りました。
平成17年10月には従来の特産品の加工業に加え、その加工品と地元の卵、牛乳、米等を活用した和洋菓子の店舗「夢の里やながわ」を開業しました。
弊社の強みは、丹波の素材を原料から加工しているところにあります。そして丹波素材を活かす事、シンプルながらに素材が活きた商品を提供しています。そのため製造においても基本を大切に手作りに努めています。又何より強いのが丹波に対する思いです。「お客様に喜んでいただきたい」「丹波の良さを伝えたていきたい」それが原動力です。
かねてより丹波と東京を繋ぐ店舗を構えたいと考えていましたが、現在9月21日の開業に向けて準備を進めています。そして近江商人の『三方良し』といわれる「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」をシッカリと胸に留め思いを形にしていきたいと考えています。
出店するにあたり、先ず弊社が役割を果たすために明確な理由付けができる場所から考えました。
ただの物売りのための店舗にはしたくない、会社設立時からの思いである「丹波伝心」を実現し、「よう来たな」と歓迎していただける店舗展開にしたいのです。
そこで東京都文京区の春日通りとしました。そこには「春日局の菩提寺として麟祥院」があります。弊社の所在地である丹波市春日町は「春日局の生誕地」であり没後37 5年の時を経て春日局様がこのご縁を繋いでくださったことになります。このご縁というのが非常に不思議なもので、「麟祥院」の矢野宗欽住職様が一昨年、春日局の命日である10月14日(旧暦)に戦後途絶えていた「春日忌法要」を約10 0年振りに再開されました。そして11月には弊社の所在地である丹波市春日町に初めてお越しになっており、道の駅で弊社の「お福豆しぼり」をお買い上げになっています。一方私はそんなこととは知らずに翌年5月7日に導かれるように麟祥院の春日局のお墓にお参りし、偶然帰る間際に矢野宗欽様にお出会いしたのです。
『縁尋機妙』という言葉があります。「人は会うべき人には必ず会う。しかも一瞬たりとも早くもなく、遅くもなく」信じ難い春日局様に導かれた出会いがあったのです。昨年第二回目の「春日忌法要」には弊社から丹波黒大豆枝豆等を持参し、ご参拝の皆様にご紹介させていただきました。
丹波市春日町という田舎の生産地と大都会東京の消費地を結ぶ役割が担えたらと思っています。きっと春日局様も微笑ましく喜んでいただけるのではないでしょうか。
東京の皆様に、丹波から本物の味を思いと共にお届けいたします。
平成30年9月
(上記チラシより引用)
この度は東京春日店、ご開店おめでとうございます。
これからも全力でサポートさせていただきますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
千客万来・商売繁盛を心からお祈りいたします。
建築場所 | |
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用途・テーマ | |
構造・階数 | |
延床面積 | |
その他 | |
建築種別 | 公共施設等 教育施設等 医療福祉施設等 商業施設・工場等 集合住宅等 住宅等 |
構造種別 | RC造 S造 木造 その他 |
改修・再生 | 耐震改修 古民家改修 一般改修 |