兵庫県丹波市の郊外に位置する歯科医院です。1927年の開業より地域に愛されてきた医院で、患者数の増大に伴って医院が手狭になったため、新施設を現医院の隣地に新築移転しました。 この医院では、一般歯科、小児歯科、口腔外科、矯正歯科、審美歯科等の多岐にわたる高度な専門治療が行われており、口腔内に関しては院内で完結する医療を目指して、それらの最新機器の導入と総合的な機能性が求められ、関西でも有数の規模を誇る大型の歯科医院施設になっています。また単なる医院としての機能以外に、医療を通じた住み心地良い地域づくりをコンセプトにして、地域医療のあり方の一つの解となる医院施設になっています。
建物名称 | WAKU DENTAL CLINIC |
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発注者 | 医療法人社団 わく歯科医院 |
所在地 | 兵庫県丹波市氷上町 |
用途 | 歯科医院 |
工事種別 | 新築 |
規模構造 | 木造(SE構法)/地上2階建 |
敷地面積 | 998.23m² |
延床面積 | 461.55m² |
竣工年 | 2014年 |
備考 | 歯科医院デザインアワード2015 グランプリ受賞 |
担当 | Director 藤田瑞夫 |
Designer 澤田伸一 | |
Assistant 北野章恵 | |
Estimator 杉山栄一 | |
Site manager 湯藤龍太 |
この医院では、一般歯科、小児歯科、口腔外科、矯正歯科などといった多岐にわたる高度な専門治療が行われており、院内で完結する医療を目指して、それらの最新機器の導入とサービスの向上に向けた機能性が求められていました。歯科医院とは機能の塊のような建物で、医院側から見れば機能性が最重要視されるのですが、患者側から見れば、そのような機能にはめ込まれている違和感こそが、待っている間の退屈感や不安感、治療に対する恐怖心を助長させるのではないかと考えていました。そのような違和感を建築的手法によって解決することが、医院建築を設計する上で自ずと課せられている課題であると考えています。
わく歯科医院は、昭和2年に丹波市成松において開業され、地域の愛される歯科医院として発展 してこられました。平成13年に現在の場所に医院を新築移転され、その後現在の3代目院長が引き継がれました。しかしながら、現院長は当時歯科医師として医院を引き継ぐことを拒否されておられたこともあり、新しい医院の建物づくりには全く参加しておらず、言わばあてがわれた箱の中でこれまで診療を続けてこられました。その中でご自身の医師としての理念の確立、目指したい医療の方向性等が生まれていく中で、患者数の増大も伴って、現医院の施設ではとても理想とするクリニックを実現できないという思いから、新しい施設の新築に踏み切られました。
新しい建物は、現医院の駐車場に計画し、現医院を解体後駐車場とする計画(最終的に現医院は別の機能を持つ建物として存続)とし、営業しながらの展開として計画は進められることになりました。
まず設計要件として挙げられたのが、「現医院の問題点解消」であり、特に医院スタッフと患者の動線の分離、治療と予防のエリア分け、その構成の中から医療サービスの流れをつくり作業効率の向上をはかることでした。院長とは診療後から夜遅くまで何度も打ち合わせをさせていただき、プランを練り上げ、医院スタッフの方々や医院のサポート会の方々の前で、模型やプロジェクターでの映像を使って、第1回目のプレゼンテーションをさせていただきました。その中で様々な見地での自由な意見交換が行われ、その後の計画においていかされていくことになりました。
その後何度も大きなプラン変更等がありましたが、ファーストプランでご提案させていただいた南側の川沿いに広がる山里のロケーションをいかした平面構成の原型は、最終プランまで継承されていくことになりました。
敷地の拡張があったり、規模の変更など様々な紆余曲折がありながらもプランが固まりかけた頃、ある医院の視察をきっかけに、『最も大切なこと』を気付かされることになりました。
それまでは、動線分離にこだわり、医院スタッフの負担軽減、作業効率の向上に焦点を当て、打ち合わせを重ね、理想的な医院のプランができたと錯覚していました。しかし、そこにあるのは「人が見えない医療」でした。それは現在のわく歯科医院の良さを全く失ってしまうものであるということを院長も設計者も悟ることとなりました。
「わく歯科がここまで発展してこれた理由って何だろう?」
「わく歯科の魅力って何?」
「『人』だよね。」
はっきりした答えがそこにはありました。
『人』とは、院長の情熱や人望、医療技術もさることながら、医院スタッフの個性、個々のコミュニケーション能力の高さや人としての真っ直ぐな優しさなど・・・
当時と診療体系が変わり、物も増え、機能的でなくなった現医院の中であっても、その中でいきいきと働くスタッフの方々の姿に感嘆したことを思い出しました。
そこからはスタッフと患者とのふれあい、院内に溢れる「スマイル&コミュニケーション」をコンセプトとして院長、スタッフの方々と共にプランを練り直しました。
医院スタッフと患者の動線の分離の中に意図的に動線を錯綜させる部分をつくり、双方のふれあいの瞬間をつくり出すこと、またその中に医療サービスの認知と誘導を促していく。
それはコミュニケーションをデザインするということであり、そうした試行錯誤を経て、ようやくわく歯科医院にふさわしい最高のプランが完成しました。
工事着工に先立って、着工式を執り行いました。和久院長ご夫妻、医院スタッフの方々と、現場担当者をはじめ、この工事に携わる大工や職人、内外装工事、基礎外構工事、電気、給排水等設備工事等の協力業者の方々との顔合わせの場でもあり、工事概要のご説明や工事を安全かつ円滑に進めていく上での約束事の確認、また設計者より設計コンセプトの説明や、現場担当者や工事に携わる各々がものづくりへの想いを述べ、一致団結してより良い建物づくりをしていく上での重要なセレモニーとして、弊社では着工式を執り行っております。
この医院の着工式では、院長の和久様より、医院の歴史や建物新築に至った経緯、医院が目指す未来像など、院長のこの建物に描く想いを語って頂きました。
計画段階から院長の熱い想いは、打合せを重ねさせていただくたびにお聞かせいただき、共感と尊敬の念を抱いておりましたが、再度語られたお言葉に改めて感動させていただきました。
和久院長の思いを弊社スタッフだけでなく、工事に携わる者が直接肌で感じ、共有できたことは、建物づくりをスタートする上でこの上ない有意義なものとなり、その後の工事の工程ひとつひとつに想いが反映されていくことになりました
。
当初は現医院の駐車場に新築建物を建築し、完成後現医院を解体し駐車場とする計画とし、営業しながらの展開として計画はすすめられました。敷地は計画途中に拡張され、建物規模、駐車スペースなど配置計画も幾度も変更検討されましたが、南側の川沿いに広がる里山の風景のロケーションはどんな変更があってもいかしたいと考えていました。院長をはじめスタッフの方々にとってこの見慣れた平凡な風景は、普段から特別意識しないものであったため計画段階ではこだわりを持たれませんでした。ですが、出来上がった建物の開口部で風景を切り取って見せた時、改めてロケーションの素晴らしさを認識していただきました。
診療スペースとしての1階は、拡張した敷地から駐車スペースを除いた部分に最大限の床面積を確保し、現医院と軒の出を揃えて、建物本体部分は後退させ、前面道路に対してボリュームによる圧迫感がないよう配置しています。
営業的視点から医院として目立つこと、視認性の良い建物を要求されていましたが、この場所では、都会の商業主義的な派手な外観の建物は合わないと感じていました。既存の建物がそうであるように奇抜な形態もこの地域の中では埋没してしまう。交通量の多い県道の交差点に位置するものの、建物密度が少なく、里山までの遮るものがないという空隙が原因しています。
ロードサイドとパラレルに広がる里山の風景から、この場所では水平性を意識したはっきりしたフォルムがふさわしいと考えました。よって、屋根を見せずパラペットを立ち上げた箱型の形態とし、ボリュームを持たせたキャンチレバーの軒先の庇の出で水平ラインを意識させ、それを強調するような開口部の取り方をしています。
前面道路からはダイレクトに内部を伺えないような構成とする反面、キッズルームをアプローチから最も見えやすい位置に配置し、真っ白の無機質な外観からキッズルーム内部のライトグリーンの壁、子供たちの無邪気な様子のみを強調させて見せるよう配置し、風除室越しに南側の景色まで見通せ、視界が抜けるよう開口部から見える演出を工夫したファサードとしています。
そうしたことで一見無機質な冷たい感じのする建物の外観に息吹を与え、スタイリッシュな中に親しみやすさと内部への誘導をうながすよう意図しています。
南側のリバーサイドは、風景を最大限院内に取り込めるよう連続する開口部で構成しています。
2階は1階の中央付近をセットバックさせるような形で配置することでちょうど背景の里山の稜線と近似した形態となり、外壁を白にし、水平ラインを際立させたエッジを利かせたディテールとしています。奇をてらった形態や色を持たずともシンプルな外観でありながら、視認性が良い建物となっています。
プランは多岐にわたる医療形態を徹底したゾーニングによりエリア分けしています。空間を2分する治療と予防のエリアだけでなく、滅菌・衛生コーナーの細部の配置までゾーニングの手法により機能を追求したプランニングとなっていますが、エリア分けされた空間をどのようにつなぎ合わせてひとつのまとまりある空間として機能させるか、美しく見せるか、そのつなぎ方が平面計画上のテーマでした。
ここでは、完全な動線分離ではなく、意図的に患者と医院スタッフの動線が錯綜する計画としており、そこでの「スマイル&コミュニケーション」こそが現医院の優れた良さを引き継ぎ、最大限のばしていけるものとして動線計画に工夫を凝らしています。
待合室には、情報コーナーやコミュニティーデッキ(外待合)など、医院機能以外の地域のコミュニティーの場としての機能を持たせています。
また、敷地南側は川沿いの里山が望める絶好のロケーションとなっており、借景が院内に最大限に取り込まれるように、南側はオープン可能なハイサッシとなっています。デッキのフロアレベルの連続性と、天井面も室内から外部まで連続させて方向性を示すことにより、あたかも院内から遠くの風景まで繋がっているように見せることを意図した平面構成としています。
色の使用は、カウンセリングルーム等の小部屋以外は白を基本色とし、家具も含め薄いベージュ系の色で成り立っています。その中に同系色のボーダータイルと照明計画の工夫(電球色と昼白色や間接照明の使い分け)により、単調な白い空間にテクスチュアとライティングの彩りを与えています。
南側の借景をいかすべく、サッシの製作限界の2.7mがそのまま天井高さとなっており、白い空間の中に院内に広がる南側の風景のみをはっきりした「色」として存在させることで、景色をより意識させ、景色をインテリアの一部として取り込むことを意図した空間になっています。
「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」が成立し、平成22年5月26日公布されました。本法律は、現在木造率が低く、今後の需要が期待できる公共建築物にターゲットを絞って、国が率先して木材利用に取り組むとともに、 地方公共団体や民間事業者にも国の方針に即して主体的な取組を促し、住宅など一般建築物への波及効果を含め、木材全 体の需要を拡大することをねらいとしています。
弊社としましても、住宅以外にも公共建築物、公益建築物などへ炭素を固定している木材製品の利用推進を図り、循環型 社会に貢献することが重要であると考えております。
環境意識の高まり以外にも、建築において木造を積極的に採用する理由の一つとして、コストの優位性があります。
構造躯体そのものが安価であることに加えて、木の自重の軽さから地盤に対して負担が軽くなり基礎工事の費用も軽減で きます。また鉄骨造やRC造に比べて工期が短くでき、現場管理費や仮設費用の削減にもつながります。
設計の面からも、スパン6m超でも軒高9m超、最高高さ13m超以外は適合判定対象とはならないなど、設計工期の短 縮、確認申請費用の削減などコスト面での優位性をあげることができます。
さらに、税の面からも木造は有利で、減価償却に規定されている耐用年数が鉄骨造やRC造に比べて短く設定されており、 特に事業用では、経営的にこの減価償却をどう経費で落としていくのかが節税対策として大きなメリットとなります。
また木造は、デザイン的にも鉄骨やRCにはないテイストを実現することが可能です。
この建物では、クライアントの意向もあり、木部の露出がほとんどない内装となっていますが、人工的に生成される「鉄」 や「コンクリート」ではなく、自然素材である「木」を使うことで、地球環境や人に優しい建築物になることができ、デ ザイン的にも時間と共に独特の風合いを醸し出すことが可能です。
上記のようなメリットがある反面、以前は、木造特に在来工法の木造では柱のない大きな空間を実現することが難しく、 その構造的な強度に関する課題が不安視されていましたが、構造性能を安定的に供給できる構造用集成材の出現によって そのデメリットも解消され、現在は数多くの大規模な建築物にも木造建築が採用されています。その中でも「SE構法」は 構造用集成材を用いた構法として優れた技術力と実績があり、構造計算により耐震性等の安全性を確保しながら、柱や間 仕切り壁の少ない開放的な大空間を得ることが可能なため、この建物の構造に採用しております。
吉住工務店では、優しい素材感とデザインテイストにこだわりながら、コストパフォーマンスにも優れた木造建築で、教 育施設や医療福祉施設、商業施設などの大規模模・中規模の事業用建築物の設計、施工にも積極的に取り組んでおります。
この設計計画は、最初のお打ち合わせから、建物完成まで2年を要し、改装計画を含めると3年を要しています。何度も綿密なお打ち合わせをさせていただき、幾度の計画変更がある中で様々な紆余曲折がありました。その中で常に感じていたことは、院長の情熱と、スタッフの方々がいきいきと働く姿のピュアな美しさでした。設計にはかなり苦労しましたが、この人たちのために何とか最高のものを提供したい、院長の夢、スタッフの夢をとその思いでやってこれた2年間だったと感じています。
この建物はデザイン重視でもクライアントの意向に従うだけの単なる箱づくりでもなく、打ち合わせを重ね、信頼と共感の中から生まれた様々な思いが込められています。スタッフの方々ひとりひとりにとってもあてがわれたモノではなく、みんなでつくりあげたと実感できる建物となっています。みんなでつくりあげた医院をみんなで大事に使っていく…そうしたシーンが頭によぎり、この医院の発展が目に浮かぶようで、そこに少しでも力添えができたことを設計者として施工者として大変嬉しく思っています。
「いつか何かで建築の賞を取りたいよね」
そういう気運が社内に上がりました。『建築の賞の受賞~デザインコンペ挑戦』は、賞の受賞という名誉や受賞作のアピール、企業のイメージアップといった営業上のメリットだけでなく、作品に対して審査員(建築やデザイン業界の第一線で活躍されている著名人)や、社会からの対外的な評価が得られるという絶好の機会となり、設計や施工の担当者だけでなく、そこに関わる職人の方々のモチベーションを高めてくれるものになります。
WAKU DENTAL CLINICは、クライアントの建物に描く想いを具現化し、機能的にもデザイン的にも院長やスタッフ、患者様や地域の方にも大変喜んでいただける建物となったものの、対外的にどのように評価される建築なのだろうか。
またその評価からの気付きにより今後の当社の建物づくりに生かしていきたいと考え、デザインコンペに挑戦することを考えていました。ちょうどその頃『グッドデザイン賞』という最も認知された日本最大のデザインアワードの締切が迫っていることを知り、この賞に挑戦することになりました。
『グッドデザイン賞』は完成度を競うデザインのコンクールではなく、要項の中にも「よいデザイン」とは「人間のために、高い倫理性を踏まえ、ものごとの本質を見据えたうえで、魅力的な創造活動をおこなっているもの」とあり、「くらしを、社会を、豊かにしうるデザインかどうか」が評価の視点になります。
建築部門は、住宅系と産業系の建築物とに分かれた二つの区分での審査となり、医院建築は産業系のユニットに該当し、公共建築や国家的プロジェクトの大規模な建築と同一の組で審査されることになります。そのためか?このユニットでの受賞は住宅系での受賞よりもハードルが高く、調べた限りでは、2013年においてクリニック系での受賞は沖縄県の産婦人科クリニック1作品のみで、歯科医院に限れば過去10年において2作品のみしかなく、コンビニより数が多いと言われる歯科医院の数からしてもかなりの狭き門のように感じます。
応募から1ヶ月後・・・。結果は一次審査通過!安堵するもののまだ受賞ではありません。グッドデザイン賞の審査は、一次審査、二次審査と段階があり、二次審査は現物審査で建築物は現物を持ち込めないためパネル等の展示審査になります。8月末の3日間、江東区有明の東京ビックサイトにて出展することになりました。自ずと力が入りますが、初めてのこと、どんな展示をしていいやら・・・。いろいろ考えたものの、特に映像を使ったり、新たにコンセプト模型をつくったりとプレゼンテーションに凝るのではなく、建物に込めたクライアントの想いを具現化した過程をストレートに表現することにしました。
二次審査から3週間後に発表がありましたが、残念ながら二次審査通過はなりませんでした・・・。
今回は悔しい結果に終わりましたが、受賞された作品、審査講評などを検証して、じっくり考察したいと思います。
そして来年以降も物件は変わりますが、果敢に『グッドデザイン賞』にチャレンジしていきます。
当社では、今後もこうした賞に応募できる完成度の高い建築物を数多くつくっていけるように、設計力や施工の技術力のアップに精進していきたいと考えております。
グッドデザイン賞二次審査不通過という結果は、社内のみならずWAKU DENTAL CLINICの院長、スタッフの方々にも落胆を与えてしまいました。しかしながら誰より落胆したのは設計者自身でした。デザインはさておき、この医院を具現化するに至った中での様々な人の想いに光をあててあげたかった・・・。賞をいただけることがすべてではないものの、残念な結果になり申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そのような重苦しい思いでいた中、日本歯科新聞社主催の『歯科医院デザインアワード2015』が開催されていることを偶然に知りました。コンペ要項の中には、「デザインのみならず、動線管理、患者視点、コスト面なども評価対象とする」とあり、絶好のリベンジの機会ととらえ、チャレンジすることに。
しかしながら、締め切りはなんと明日まで!
何とか応募資料を揃え、間に合わせましたが、結果やいかに・・・。
発表は、2015年1月1日 日本歯科新聞紙上、または月刊誌「アポロニア21 1月号誌上にて発表されます。
昨年の結果はこちら
http://www.dentalnews.co.jp/info/info_design2014_2.html
「街の文化発信基地を目指す」というコンセプトの埼玉県の歯科医院が大賞を受賞されています
結果が発表され次第、ウェブ上にもアップしていきますのでご期待ください。
現在、新しい医院の開院から2ヶ月が経ち、建物のご感想と医療崩壊や地域医療の問題点、開院までのプロセスなどについて和久先生(以後:先生)と吉住工務店の藤田(営業担当)と澤田(設計担当)にてインタビュー形式で対談させていただきました。
医院のコミュニティデッキにて
写真左 (株)吉住工務店 設計室チーフアーキテクト 澤田 伸一 |
写真中央 医療法人社団 わく歯科医院 理事長 和久 雅彦 |
写真右 (株)吉住工務店 常務取締役 藤田 瑞夫 |
先生 |
「私が丹波医療再生ネットワークでの活動の中で医療崩壊を題材とした映画を撮らせていただきました。その時に撮影場所を提供していただいたのが吉住工務店でした。(それが最初の出会いでしたね。) その後旧医院の改築を計画しまして、その工事は当初違う工務店でお世話になる予定でしたが、思っていたよりも金額が高く、その見積が適正な金額なのかどうかも分からなかったので、吉住工務店に見積依頼をしたのがきっかけでした。 結局、どの工務店も予算に合わず、“それならば打合せの度に来ていただく方々の人柄が良いと感じた吉住工務店1社に絞って計画を進めていこう”という事になりました。改築工事でも多額の費用がかかるし、改築の間休診するのならば、当時の医院の横に新しく作ってはどうか、という話で新築工事になりました。 しかし、自由設計となるとどんどん夢も膨らんできて、今から思うと当初予算から何倍になったのか…という規模になってしまいました(笑)」 |
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先生 |
「里皮フ科クリニックの里先生と柏原病院小児科の和久先生と私とが同級生なのですが、2006年頃、和久先生が「疲弊したので柏原病院を辞める」と丹波新聞に記事を書かれました。和久先生が柏原病院を辞めるということは、柏原病院から小児科がなくなり、小児科がなくなるということは、産婦人科のフォローが出来なくなるということで、つまりは丹波市の周産期医療が消えてしまうという危機でした。当時「医療崩壊」などという言葉がメディアに出だした頃であまり周知されておらず、私自身も実際に起こっている状況も把握できていないまま、里先生と和久先生を呼び出し、辞めないように説得しました。その説得をした日の翌々日の早朝5時に和久先生から1通のメールが届きました。 『水一杯も飲むことさえできずに午前診療が終わったのが夕方の5時、その後病棟の回診に行き、病棟の処置が全て終わったのが夜中の1時、そのまま家に帰り、冷めたカレーを温め始めたら産婦人科の病棟から呼び出しがあり、病院に戻り処置が終わり家に帰ってきてメールを打ったのが今の時間です。 こんな現状を丹波の人たちは知っているのでしょうか。 こんな現状を知らないままに自分の命を柏原病院に預けているのですよ。 それで私たち医者は事故を起こせば訴えられるのです。 丹波の人々はこんな状況を知らないで病院に押しかけているのです。』 そのメールを見て、初めて大変な事が起こっていると気づかされました。 すでに発足されていた『「県立柏原病院の小児科を守る会」のお母さん方だけに任せておいてはいけない、これは私たち医療者が何とかせねば』と思い、里先生と現在の丹波医療再生ネットワークの前身の会“DPI”を立ち上げました。 始めは医療崩壊がどういう事なのか分からなかった為、いろいろな見識者の方々をお呼びして勉強しました。それで自分たちがしなければいけないことが分かり始めました。ですが、知事、県庁、議員の方々や市へ医療をちゃんとできるようにしてほしい、資金を提供してほしい、場所を提供してほしい、と訴え、責めたてていた為、だんだんこの会が疎ましがられるようになってしまいました。圧力団体のように活動をしてしまっていて、協力者が1人減り、2人減り…という状態になっていました。 そんな頃に「県立柏原病院の小児科を守る会」が3つのスローガンを掲げました。 『コンビニ受診を控えよう』 『かかりつけ医を持とう』 『お医者さんへ感謝の気持ちを伝えよう』 当初そんな生易しいスローガンでは何も変えられないと、私たちは冷めた目で見ていたものです。しかし、このことにより、柏原病院を疲弊させていた夜間のコンビニ受診は激減し、環境が劇的に変わっていき改善され始めたんです。 お母さん方が行ってきたことは他者に対してではなく“自分たちが変わります”という活動で、自分たちが変わるので応援してください、というメッセージを発信していました。 医療崩壊の問題は丹波市だけではなく、同じような事が他の地域でも起こっています。 医療関係者がみんな疲弊している中で、こんな事を言っている住民の方々がいるということが全国に広がり、それに共鳴した全国のお医者さん達が地域の枠を超えて集まってくれたり、当時の舛添大臣や野田元首相がお越しになられたりしました。その時に私たちの丹波市医療ネットワークの活動は間違っていると気づき、人を変えようとするのではいけない、自分たちがまず何が出来るかを考えようということで、会の方向を変えていくようになりました。 そこで、自分たちは医療従事者としてできる事をやろうということで、先ほども言いましたが、私は医療崩壊を題材とした映画を撮らせていただきました。その時に撮影場所を提供していただいたのが吉住工務店でした。また医者が主体となり「丹波ざわざわカレッジ」という会を設け、なるべく大きな病院にすぐかけ込まず自分たちで処置できることは自分たちでやろう、適正な医療の受診をしよう、という適正受診を促すような情報発信等を 住民の方々に対し行っています。現在の丹波市ではだいぶ医療崩壊という図式もおさまってきましたので一安心しています。それが医療環境として健全な状態であると思います。」 |
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澤田 | 「今現在もその医療崩壊は全国でたくさんあるのでしょうか」 |
先生 |
「まだまだたくさんあります。病院はどんどん出来ていきますが、そこに医者が集まらない状況が多くあります。とても悲しい事に建てた美しい病院が廃墟と化しているところがたくさんあるのです。“丹波の医療がモデルとなって、全国からも注目を集めています”という記事をインターネットなどでよく目にします。 ただ、寂しい話、この話は全国では有名なんですが、丹波の人はほとんど知らないんですよ。」 |
丹波市の医療崩壊について語る和久先生 |
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澤田 | 「今回の建築プロジェクトは最初からそういった地域医療のあり方、地域とのつながりがコンセプトにありました。この話が原点で計画が始まって行きましたね。」 |
先生 |
「この2ヶ月間は私の心の中は激動でした。というのも、いつの間にか原点が損なわれてしまっていた状態になっていたからです。器(この医院)があまりにも巨大で、自分が負けてしまいそうで、心の中に“何の為にこの医院を建てたのか”という迷いが生じました。周りの人から『大きいな、大きいな』とそればかり言われたので、言われるたびに後悔が生まれ、自分を責める言葉と後悔から医院に行くのがしんどい時期もありました。ですが、色々な人の話を聞いたり、書物を読むことでもう一度原点に立ち帰ることができ、自分がやりたかった事を思い出すことができるようになりましたし、丹波の自然に包まれるように仕事をしているとだんだん自分の心が穏やかになっていきました。 言ってみれば建築は「箱」なのですが、その「箱」を通じて成長の機会をいただいていたと気づかされました。自己成長する為の非常に良い時期をいただいたのだと思います。 また、前の医院で雑多な中で働いていた頃に比べると、スタッフが非常に穏やかに仕事をしてくれています。何よりも患者さんが『この医院は落ち着きます。前と全然違う。』と言ってくれます。その言葉を聞いた時にはほっとしました。 スタッフたちの自然に前より念入りに掃除をしてくれたりする姿を見て、この良い環境を守りたい気持ちが伝わってきてうれしく思います。そういったスタッフの姿や、患者さんの声を聞くようになってやっと自分がこの器に馴染んできたという感じがします。」 |
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先生 |
「私がこの地域に帰ってきた時には、この地域の中で医療を完結できる場所にしたいと思っていました。土日も休みもなく、ずっと勉強しに行って学んでいたのですが、しかしそれは自分のエゴでしかありませんでした。その事よりも、自分の父親が治療した患者さんを受け継いで私が治療を行い、患者さんを通じて父親の仕事を目にすることで、仕事を通じて父親と語り合うようなことや、将来自分の子供がこの仕事を受け継いだ時“患者さんを通じて仕事を見せる時”に、高価な材料を使っているかとか、人工のものを使っている事を見てもらいたいわけではなく、“お父さん、よくここまでこの歯を守り通したね”と思ってもらえる。そういう疾患のない健康な状態こそが本当の意味で守っていく仕事だと思うようになりました。私自身は口腔外科が専門ですが、予防をメインとして治療を行い、スタッフが活躍できる状態にすることで患者さんが幸せになる状態を目指しています。健康な口内環境を守り・育てることができる事がこの医院の存在意義と思っています。 歯が痛くなくても歯医者に来てくれるような環境づくり、アメニティが必要で、癒しがあり元気がある場所で患者さんにもう一度行きたいと思ってもらえるようにすることが大切です。実際に患者さんからは『ここに来たらものすごく落ち着くし癒される』とおっしゃっていただいています。」 |
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藤田 |
「痛くなくても来てほしい、行きたい、という信頼関係、そういった医療のつくり方と、建築とは同じだと思っているんです。日本の住宅の寿命は20年30年という感覚でものづくりされていましたし、建主側もそう思っているところがありました。傷んだら建替えればいいとか自分たちの世代だけ建物がもてばいい、という感覚の方が多かったのですが、実は欧米や世界から見てみると、家は50年、100年、200年と建てたら後世に引継ぎ、他の人に使ってもらうという文化があります。日本では悲しいですが20年経った家は次の人が住めないだろう、と思われてしまっています。しかし私たちが本当に目指したいのは、家づくりをさせていただいて、雨漏れも不具合もないけれど、家のメンテナンスや今後この家をどうしていくか、などを相談してもらえるような企業であることです。日本の建築への考え方、文化を変えていきたい。ずっと大切にしていきたいと思ってもらえる文化をつくっていきたいと思っています。 この医院で構造用集成材を使った耐震構法であるSE構法での建築をお話しさせていただいたのは、実は長くこの建物を使っていただきたいという思いと、大空間を提供できる構法なので、将来改装していただく時に柱を抜かなくてもすむよう、その中でリニューアルすることが容易であるといった提案をさせていただきたかったからなのです。ずっと施主様とお付き合いさせていただける建設会社であり続けたいと思っています。」 |
先生 |
「この医院もあと13年で100年を迎えます。その先、150年先まで受け継がれるようなそういう場所になってほしいと思います。 隣の旧医院もまだまだもちますから、あそことここをつないでうまくリニューアルすれば、この地域で活躍できる場になると思います。 『いつも見慣れた風景だったはずなのに、こんないい景色だったんですね。』と患者さんからよく言われます。建物の中から見える風景というのは、散歩をしている時には気付けなかった景色だったんですね。 毎日、自然の中に身を委ねている感じから、宇宙とのつながりのようなものを感じ、自分の中にエネルギーを与えてもらっていると感じることができています。 これまでの医院ではチェアで待っていただいている患者さんに雑誌を渡したりしていたんですが、今は患者さんがじっとこの景色を見入っています。動く絵のようですから、見ていて飽きないんですね。季節によって夏は緑豊かな風景で、秋には紅葉して、冬になったら雪が積もって…最高の景色ですね。それを設計に活かしていただいたことに本当に感謝しています。ここでしかできない仕事をしてもらったと思っています。」 |
澤田 | 「先生と打合せさせていただいた当初、コンセプトとなる色々なキーワードをいただきました。おしゃれな公民館のような場所、患者さんがつくる医院、子供たちの笑顔、くつろぎだとか癒しといったこと、地域とのつながり、地域貢献、地域のランドマークとしてなど他にも色々なキーワードをいただいて、ただ治療の場としてではなく、心からくつろぎ、つどい、楽しんでいただける場所をつくるといったコンセプトから今日の計画がスタートしたのを覚えています。」 |
先生 |
「当初はただの旧医院のリニューアルで始まった計画が、まさかまさかこんな建物になるとは思っていませんでした。今だから言いますが、建物の規模が大きくなるにつれてすごく不安がありました。 計画変更や色々な紆余曲折がありましたが、今の規模になったのはこうなるべくしてなったように思います。」 |
先生 | 「床を貼る前の床がない時には、天井がどれだけ高いんだ!!とびっくりしました。体育館みたいな高さで驚きました。ここでバスケットが出来るのでは!?と思いました。また、こんなに広い空間で空調が効くのかと、不安になりました(笑)天井の高さに圧倒されました。ここに床がつくと分かっていなかったので(笑)」 |
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工事中のエピソードについて |
先生 |
「やはりオペ室です。ここにはスペースとしての理想的な大きさからこだわりました。何度も計画の段階から打合せを重ねて決めていきましたが、現場で工事中の空間を見た時、壁を動かしてさらに大きくしていただきました。ここのオペ室は麻酔科医やスタッフが複数名入っても本当にストレスがないです。背中に何も当らないですし、立って治療ができるのがすごく良いですね。 広くとったので40インチのモニターがすごく小さく感じます。もっと大きくしても良かった(笑) ただ、このキレイな白い壁をいつまで保つことができるかが不安です(笑)」 |
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澤田 | 「土足になってから患者さんからの意見はどうでしょうか」 |
先生 |
「車椅子の方やご年配の方々が喜んでくれてますね。 全ての患者さんが下駄箱はどこですか?とお聞きになられます。スタッフがそのままでどうぞ、と答えると『土足でいいんですか!?』とみなさん驚かれます。」 |
澤田 | 「このコミュニティーデッキはいかがですか?」 |
先生 |
「子供たちは元気に走り回ってますね(笑)ここで運動会をしている時がありますよ。 ここにテーブルと椅子をたくさん置いて、早く外待合としてきちんと整備したいんです。患者さんからも早く置いてほしいと要望があるんですよ。コーヒーの一杯でも出たら最高なのに、と言われます(笑)子供たちがここで宿題をやっている風景を見るとすごく良いな、と思います。お母さんが教えながらここで勉強をしているんですよ。虫がすごく多いので夜は開けられないですが…。当初はオープンデッキは不要だと思っていましたが、本当に気持ちいいです。計画当初澤田さんが言われてたように本当に川までが当院の庭ですよ(笑)」 |
澤田 |
「ここのデッキはできたら診察に来られた方ではない方にもどんどんここに来てくつろいでもらったりご近所話をしたりしてもらえればいいなと思っているんです。 そう言えば桜の咲いている時期にここにご近所の方が座って桜を眺めてらしたのが印象的でした。」 |
先生 | 「今はまだうまく使えていないのですが、早く整理をして使っていきたいです。」 |
澤田 | 「ご近所の方なんかが地域の情報とかを発信したりして、地域のコミュニケーションの場になってもらえたらとても嬉しいですね。」 |
先生 | 「本当にそう思います。」 |
設計主旨、打合せエピソードについて語る澤田 |
先生 |
「初めは前医院の問題点の解消ばかり考えていて、効率化や動線分離をした機能性を考えていました。その後他の医院を拝見させていただいたりしていく中で、機能や効率化優先の計画ではうちのスタッフの良さが生かせないと思いました。私の医院のスタッフならば、待合室を使って患者さんたちともっとコミュニケーションがとれると思い、今の型に移行することになりました。 今、私はキュアの患者さんの治療が終わったらケアゾーンに声を掛けに行っています。当初あれだけ効率化を考えて計画していた動線配置で自分が治療ゾーンから動かないつもりで集約していたのに、ずっとケアゾーンの方へ行ったり来たりをしています。全ての患者さんの顔を見に行くという、とても非効率的なことをやっています(笑)」 |
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澤田 |
「効率化を突き詰めていくと人が見えない医療になって患者さんが担当スタッフと受付スタッフ以外とは顔を合わせないとか、受付越しにしかコミュニケーションできない、そういった関係でしかなくなってしまいます。 治療ゾーンはスタッフと交差してしまうと危ない部分もあるので動線分離をし、予防ゾーンの方は意図的にスタッフと患者さんとの動線を交錯させ、自ずと患者さんと触れ合える・顔を合わせられる場を設けるようにしています。受付を診察室側に配置せずに、あえて反対側にすることで、待合室にスタッフの往来があって、そのことで患者さんとスタッフさんとの間で「ありがとう」や「今日はどうですか」と自然に声を掛けられるプランに変わっていきましたね。 ただ機能的には非効率的になり、スタッフの方に負担を強いることになります。そこで医院で話し合われて最終的にはスタッフの方がその重要性を理解されて今のプランになりました。」 |
先生 | 「悪かった点は、ケアゾーンがオープンすぎたかなとは思います。隣のチェアの声がよく聞こえるのでもう少し閉じた空間でもよかったかもしれません。あとは、床材が汚れやすいところですね。」 |
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先生 | 「スタッフは本当に喜んで働いてくれています。汚れたところもすぐに気が付くなど、今までとは違う視点なんかもできてきています。」 |
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澤田 | 「スタッフの方々ともたくさん打合せをさせていただきました。スタッフのひとりひとりにとってあてがわれた箱ではなくみんなでつくり上げたといえる医院になっていると思います。みんなでつくり上げた医院をみんなで大事に使っていく本当に愛着の持てる医院ができたのではないでしょうか。」 |
先生 | 「吉住の一番の強みは“人”です。受付の方もいつでも外までお見送りしてくださって、すごく教育が行き届いていると感じます。医療崩壊を題材とした映画を撮らせていただいたときに対応して頂いた方や、その後の改装計画時の見積や改装から新築の計画に変更していく中で担当して頂いた営業担当、幾度となくプラン変更にも対応していただき、こちらの要望に誠心誠意応えてくれた設計担当、着工式や上棟式をはじめ、工事中の様々な事に対応していただいた工事担当の方、この計画にかかわる方々の姿勢や行動、そこが一番の信頼となっている部分だと思います。」 |
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◇このプロジェクトの中で、私たちも地域医療の問題点、地域のコミュニティーの大切さ、医院スタッフと患者さん、患者さんと患者さん、医院と地域の関係性などそこから生まれるものについて多くの事を考え、経験させて頂きました。
インタビューを終え、改めて先生の熱い思いにふれ、建物完成までのプロセスを振り返ることで、建築とは単に美しいものや機能的なものをつくることではなく、一つの建築がつくられる背後にあるストーリーに誠実に応えていくことが重要であると改めて感じずにはいられません。
これからもこの愛すべき風土、風景がこの地域の患者さんの癒しとなり健康が守られ、また地域医療が守られていけるように、建築的立場から提案し、行動していくことで私たち、吉住工務店の存在価値を見出せると感じました。
(平成26年7月吉日 わく歯科医院にてインタビュー)
記事 (株)吉住工務店
設計室 石井 義信